スウェーデン・ルンドよりミカ工場長がお届けするスウェーデン情報
by alltomsverige
S | M | T | W | T | F | S |
1 | 2 | |||||
3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
10 | 11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 |
17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 |
24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 |
アーグストの出産予定日
本当ならこの日辺りにアーグスト(息子)と会える予定でした。
でも4ヶ月半前の7月下旬、ちょうど妊娠6ヶ月目に入ったぐらいのある日、おなかが痛くなり、助産婦さんが「何かあったらルンド大学病院婦人科の救急に電話するように」って言ったように電話して助けをもとめたんだけど、Allt om Sverige - Mini! を前から読んでいてもらっている人には簡単に想像できると思うけど、診察拒否。
それでも我慢できずに電話するけど、ことごとく拒否。
結局12時間後(電話をしはじめてからは約10時間後)、むりやり救急のドアを突破したときには、すでに時遅し、もう救えない状態になってました。
その時点ではまだ息子は元気に私のおなかをぽこぽことけっていたんですけどね。羊水が入った袋が少しでてきている状態になっており、これを押し戻すのは無理だと医師から言われました。
結局だめだ、無理です。って言われたので、それから彼が死ぬのを待つだけになったんです。
そして翌日の朝、彼は生まれました。誕生死でした。
おなかが痛くなる日の前日の超音波では元気に暴れていた彼。
成長も順調で予定日も本当は1週間後ぐらいだったのが、この日に早まったぐらい。
そんな彼との突然のさよならを強いられ、病院への不信感や子供を失った喪失感、無力感、虚無感などの月日を経て、やっとこのブログに書く事ができました。
彼の予定日に彼のことを書くことができて、ちょっとほっとしています。
直後はもう2度とここに戻ってくることなんてできない感じでした。
アーグストがお空に帰った直後は何をすることもできず、blogも休業しました。人と会うのもしばらくは辛く、メールで心配してくれた皆さんに返信することもできず、ご心配おかけしました。
返事できなかったのは、こんな理由があったからです。
しばらくはこのことを書くことすら、手が震えてだめでした。
でも彼のことを忘れたくない、このことを忘れてはいけないと(もちろん忘れはしませんが、詳細など)別blogを立ち上げました。
興味がある方は
スウェーデンで天使ママ(http://aoj.blog83.fc2.com/)
を読んでみてください。
特に7月の下旬には病院とのやり取りがどういうものだったのか、詳細に書いているつもりです。
それ以後は私のもがきのみですので、かなりうっとおしいものになっていると思いますが、今はこうやって生きていくのが精一杯です。
なお、この別blogを書き始めたのは流産後、1ヶ月ほどたってから。
当時は外を歩く事すら辛い時期があり、とにかく内にこもって、隠れていたい気持ちでたくさんでした。同じ名前で書いてもよかったんですが、別のHNで書いています。
なお、このblogを訪れてくれる人たちは私と同じような境遇の方が多いので、コメントの内容も一般的なものではないと思いますので、コメントをされるかたはその辺を考慮してよろしくお願いします。
でも今はやっとこっちのblogにも戻ろう、スウェーデンの情報発信、もちろんこのことも一つのスウェーデンの情報ですから、これも含めて発信していきたいと思うようになりました。
まだ本格的に以前のように書いていくのは、もうちょっと後になるかもしれません。
最近は新しく始めたプロジェクトで文字通り朝から晩まで仕事をしています。
どんな状態に陥っても、生きていかなくてはならないし、生きるためには仕事をしてお金を稼がないといけませんからね。
(皮肉な事に、流産して病院はすぐに「病気休暇」のことを言ってきましたよ。まさに病気休暇漬けのスウェーデン・・・・病気休暇を喜んで与えるぐらいだったら、診察して息子を助けて頂戴。そのほうが長い目を見たら安いと思うんだけど。もちろん自営業で休暇なんてとってたらお金が入ってこないので休暇なんてつかいませんでしたけど。流産の手術があったので無理はしませんでしたが。)
こんなこといつものように書き始めるのは来年あたりになるでしょうか。
12月もあっという間に終わってしまいそうですね。
これまでの4ヶ月間は本当に長くて辛い4ヶ月でした。
もしかしたらこれからも長くて辛い人生が続くかもしれませんし、息子が死んだのも事実です。
そしてこの事実と生きていかなくてはならないのも事実。
今はこのことを受け入れて前に進んでいくか、が私とうちのス人の課題だと思います。
(といっても彼もやっぱり毎日辛いらしい)
ありきたりの、何にも起こらない日常が本当に幸せなんだなって思いました。
そんな日常がもどってくるかな。戻ってきてほしいんだけど、でもその時、息子の記憶をどこに置いたらいいのだろうって問題にぶつかります。
多分そういうことは別blogに書いていくと思います。
それでは皆さん、よいお年を。
でも4ヶ月半前の7月下旬、ちょうど妊娠6ヶ月目に入ったぐらいのある日、おなかが痛くなり、助産婦さんが「何かあったらルンド大学病院婦人科の救急に電話するように」って言ったように電話して助けをもとめたんだけど、Allt om Sverige - Mini! を前から読んでいてもらっている人には簡単に想像できると思うけど、診察拒否。
それでも我慢できずに電話するけど、ことごとく拒否。
結局12時間後(電話をしはじめてからは約10時間後)、むりやり救急のドアを突破したときには、すでに時遅し、もう救えない状態になってました。
その時点ではまだ息子は元気に私のおなかをぽこぽことけっていたんですけどね。羊水が入った袋が少しでてきている状態になっており、これを押し戻すのは無理だと医師から言われました。
結局だめだ、無理です。って言われたので、それから彼が死ぬのを待つだけになったんです。
そして翌日の朝、彼は生まれました。誕生死でした。
おなかが痛くなる日の前日の超音波では元気に暴れていた彼。
成長も順調で予定日も本当は1週間後ぐらいだったのが、この日に早まったぐらい。
そんな彼との突然のさよならを強いられ、病院への不信感や子供を失った喪失感、無力感、虚無感などの月日を経て、やっとこのブログに書く事ができました。
彼の予定日に彼のことを書くことができて、ちょっとほっとしています。
直後はもう2度とここに戻ってくることなんてできない感じでした。
アーグストがお空に帰った直後は何をすることもできず、blogも休業しました。人と会うのもしばらくは辛く、メールで心配してくれた皆さんに返信することもできず、ご心配おかけしました。
返事できなかったのは、こんな理由があったからです。
しばらくはこのことを書くことすら、手が震えてだめでした。
でも彼のことを忘れたくない、このことを忘れてはいけないと(もちろん忘れはしませんが、詳細など)別blogを立ち上げました。
興味がある方は
スウェーデンで天使ママ(http://aoj.blog83.fc2.com/)
を読んでみてください。
特に7月の下旬には病院とのやり取りがどういうものだったのか、詳細に書いているつもりです。
それ以後は私のもがきのみですので、かなりうっとおしいものになっていると思いますが、今はこうやって生きていくのが精一杯です。
なお、この別blogを書き始めたのは流産後、1ヶ月ほどたってから。
当時は外を歩く事すら辛い時期があり、とにかく内にこもって、隠れていたい気持ちでたくさんでした。同じ名前で書いてもよかったんですが、別のHNで書いています。
なお、このblogを訪れてくれる人たちは私と同じような境遇の方が多いので、コメントの内容も一般的なものではないと思いますので、コメントをされるかたはその辺を考慮してよろしくお願いします。
でも今はやっとこっちのblogにも戻ろう、スウェーデンの情報発信、もちろんこのことも一つのスウェーデンの情報ですから、これも含めて発信していきたいと思うようになりました。
まだ本格的に以前のように書いていくのは、もうちょっと後になるかもしれません。
最近は新しく始めたプロジェクトで文字通り朝から晩まで仕事をしています。
どんな状態に陥っても、生きていかなくてはならないし、生きるためには仕事をしてお金を稼がないといけませんからね。
(皮肉な事に、流産して病院はすぐに「病気休暇」のことを言ってきましたよ。まさに病気休暇漬けのスウェーデン・・・・病気休暇を喜んで与えるぐらいだったら、診察して息子を助けて頂戴。そのほうが長い目を見たら安いと思うんだけど。もちろん自営業で休暇なんてとってたらお金が入ってこないので休暇なんてつかいませんでしたけど。流産の手術があったので無理はしませんでしたが。)
こんなこといつものように書き始めるのは来年あたりになるでしょうか。
12月もあっという間に終わってしまいそうですね。
これまでの4ヶ月間は本当に長くて辛い4ヶ月でした。
もしかしたらこれからも長くて辛い人生が続くかもしれませんし、息子が死んだのも事実です。
そしてこの事実と生きていかなくてはならないのも事実。
今はこのことを受け入れて前に進んでいくか、が私とうちのス人の課題だと思います。
(といっても彼もやっぱり毎日辛いらしい)
ありきたりの、何にも起こらない日常が本当に幸せなんだなって思いました。
そんな日常がもどってくるかな。戻ってきてほしいんだけど、でもその時、息子の記憶をどこに置いたらいいのだろうって問題にぶつかります。
多分そういうことは別blogに書いていくと思います。
それでは皆さん、よいお年を。
by alltomsverige
| 2009-12-12 20:57
| スウェーデン生活
カテゴリ
以前の記事
その他のジャンル
ファン
記事ランキング
ブログジャンル
画像一覧